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日本代表ワールドカップ北中米大会出場決定

3月20日に日本代表がバーレーン代表を2対0で下し、世界最速でワールドカップ北中米大会出場を決めました。

目次

日本代表はとても強くなりました

1998年のワールドカップフランス大会出場から8大会連続で8回目のワールドカップ進出です。

昔は夢だったワールドカップ

今でこそ日本代表はワールドカップの常連国になっていますが、以前はアジア最終予選を突破することができずに、釜本邦茂や木村和司のような絶対的なエースがいてもワールドカップに出場できませんでした。

ドーハの悲劇

日本代表がワールドカップに一番近づいたのは、1994年ワールドカップアメリカ大会の最終予選です。1993年10月28日にカタールのドーハで迎えたイラク戦で、ロスタイム残り数秒でコーナーキックから同点ゴールを決められ、日本代表は予選グループ1位から3位となり予選敗退となりました。現在日本代表を率いる森保一監督もドーハの悲劇のメンバーです。

三浦知良選手

現在58歳で現役を続けるキングカズこと三浦知良選手は、1994年ワールドカップアメリカ大会の予選リーグでもとても勝負強かったです。私が大学生の頃で、深夜にテレビにかじりついて応援して、もう駄目だと思うときに三浦知良選手が必ずゴールを決めてくれました。なおさらドーハの悲劇での予選敗退が残念でした。

ジョホールバルの歓喜

日本代表が初めてワールドカップ出場を決めたのは1998年ワールドカップフランス大会のアジア最終予選です。1997年11月16日にマレーシアのジョホールバルで開催されたイラン戦において、延長後半に岡野雅行選手がゴールを決めて、これがゴールデンゴールとなりアジア3位でワールドカップ初出場となりました。この予選を通じて当時若干20歳の中田英寿選手が、チームの中心的な働きをして日本のサッカーに大きな希望をもたらしました。

ワールドカップ常連国の日本代表

苦しかった時期を乗り越えて日本代表はワールドカップフランス大会からずっと出場しています。最初のうちは苦戦していましたが、最近ではヨーロッパの強豪国を破るなど快進撃が続いています。今では当たり前に見えるワールドカップ出場も、三浦知良選手たちのドーハでの涙や、中田英寿選手たちが海外クラブで流した汗などが礎になっていると思います。

史上最強の日本代表

今回の日本代表は強いです。ほとんどの選手が海外クラブに所属していてチーム間の競争もあり、みんな全力プレーをしておりアジアのレベルでは突出していると思います。特に久保建英選手と三苫薫選手はワールドクラスの選手で、今後強豪クラブと大型契約が予想される選手です。バーレーン代表戦でも久保建英選手は1ゴール1アシストの活躍で攻撃に守備に異次元のプレーをしていました。

最後に

森保一監督はワールドカップ北中米大会で世界一を目指すと言っていますが、モチベーションを保つうえでも素晴らしことだと思います。しかし世界の強豪国が本気になった時のすごさは別格で、2022年ワールドカップカタール大会の決勝戦のアルゼンチン対フランス戦が物語っています。
私が生きているうちに日本代表のワールドカップ優勝が叶ったら最高です。

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